ドイツ工作連盟

ドイツ工作連盟とは

ドイツの建築家や工芸家、実業家などにより結成され、近代工業と芸術 機械とデザインの統一を目指した団体です。

近代の工業デザインの発展を基礎付けていきました。

ドイツ工作連盟は、機械反対ではありません。

アーツ・アンド・クラフツ運動をモデルに、芸術、工業、職人技術の協働により、製品の品質の向上を目指しました。

第三回ドレスデン美術工業展

1906年にドレスデンで開催された第3回ドイツ美術工芸品展は、デザインと室内装飾に新たな方向性を示し、機械生産のために芸術家たちによってデザインされたものが展示されました。ドイツ工作連盟結成の引き金の一つとなる展覧会でした。

展覧会の翌年にはドイツ工作連盟が設立されました。連盟のメンバーはペーター・ベーレンスを含む(1868年から1957年)、フリッツ・シューマッハ(1869年から1947年)、およびヘルマン・ムテジウス(1861年から1927年)です。

ベルギーの建築家でデザイナーのヴァン・デ・ヴェルデ(1863-1957)は画家としての訓練を受けていましたが、19世紀後半のイギリスのアーツアンドクラフツ運動の影響を強く受け、やがて応用芸術やインテリアデザインに目を向けました。1900年にベルギーを去り、ワイマール(バウハウスの前身)にある応用芸術学校のディレクターに指名されました。

シュトゥットガルト住宅展(ヴァイセンホーフ・ジードルング)

ヴァイセンホーフ・ジードルング(Weißenhofsiedlung)は1927年、ドイツ工作連盟主催の住宅展覧会。

住宅のあらゆる分野の企画統一がテーマとなった展覧会です。

ドイツを中心に17人の建築家が参加し、モダニズム建築の実践の場となりました。

ミース・ファン・デル・ローエが全体計画を立て、ミース、ル・コルビュジエ、グロピウス、アウト、シャロウンらの設計による住宅が建設された。

規格化論争

工作連盟を二つに分ける論争が起こりました。それは

ヘルマンムテジウスによる規格化の主張です。

ヘルマン・ムテジウスは、デザインの規格化 標準化を主張した。

この主張に対して工作連盟の芸術家たちは反発をしました。

ヴァン・デ・ヴェルデも反対意見を提出しました。

連盟の大反発に遭い、ムテジウスは、工作連盟での指導力を失いました。

しかし、産業とデザインのその後の展開は、規格化・標準化に対するムテジウスの考えが正しかったということを証明しています。

規格化反対の意味もこめて上のうようなポスターをペーター・ベーレンスは作成しました。